純ジャパが英語学習について考えてみる

学部や留学での経験を元に、英語学習についての考えをまとめました。

とにかく英語できるようになりたい、と思うようになったのは大学に入ってからだった。きっかけは覚えていない。授業で話してる帰国子女がかっこいいから、みたいなしょうもない理由だった気がする。

その後しばらく大学で英語に触れる中で、その重要性とアドバンテージを次第に理解するようになった。学習のモチベはあったし、なんやかんや勉強していた記憶がある。

しかし今思うと、大学3年の夏まではお粗末な勉強をしていたな、と思う。とりあえず洋書読み散らかすとか、映画を見まくるとか。

ちょうどそのころカナダに留学していたが、そこでそれまでに勉強してきたことへの違和感を感じたのを覚えている。具体的には、やってきた勉強が使いたい英語に繋がっていないと思ったのだ。それからちょっとずつ考え方とやり方を変えるようになっていまに至る、という感じ。

実はいまシンガポールに二度目の留学に来ている。これが英語と向き合えるひとつの良いタイミングだと思うので、自分が英語について考えていること、これまでやってきたことについてまとめておきたい。

ちなみに当方純ジャパでそんなに英語ができるわけではないので、ハードル低めでお願いします。


「英語力」について考える

もっと早いうちから、そもそも求める「英語力」とは何なのか、をはっきりさせておくべきだったように思う。

留学をはじめ授業など様々な場面で英語に触れてきてわかったことだが、結局英語は目的達成のツールでしかない。「英語力」なんてものは明確には存在しなくて、それは日常コミュニケーション力、アカデミックなディスカッション力、特定の分野の論文読解力、洋画のリスニング力など、具体的な名前をつけて砕いてあげないと、つかみどころのない抽象概念のままで伸ばすことはできない。

特にありがちな「英語は将来使える」というのは危ない発想だと思う。具体的にどう使うのかを意識しないツールほど無意味なものはない。いつ?どこで?聞くのか読むのか話すのか書くのか?内容は?相手は?みたいなことを想定しておくべきだと思う。

つまり、目的に沿ってどういう英語を身につけるべきかを考えないといけない。ちなみにぼくはこのことに去年の夏に留学に行くまで気づけず、だらだら適当な勉強をしては伸びず、を繰り返していた。


目的について考える

いくつかの例として、簡単にぼくが去年からやってきたことをまとめる。具体的な目的としては

  • 研究活動
  • ネット記事を読む
  • 海外の友達と日常会話をする

の3つにざっくり分けられる。

研究

ぼくの大学での研究テーマは日本でほとんど扱われていないので、必然的に英語の論文を読んでいる。また研究室のミーティングが全て英語なので、プレゼンしたりQAしたりもする。そこで効率よいインプット、わかりやすいアウトプットをするというのが目的になっている。

実はこれは簡単な方だと思っていて、インプットでは専門用語や特異な言い回しを覚えていくことを最優先にしている。効率を考えるとここが一番のボトルネックになるからだ。アウトプットは単純に上手い人のフレーズをパクっている。

ネット記事

最近デザイン系の記事を読むことが増えたが、基本的にUXにまつわるネット記事などは英語で書かれていることが多いので原文ママで読んでいる。さらにデザイン関連だとDesign+Codeという教材でUIの勉強もしているが、これまた全て英語のテキストとなっている。これらのインプットをもっとスムーズにしたいというのが目標。

これも研究のインプットと全く同じだが、専門用語や言い回しをまず覚えている。

日常会話

この中では一番難易度が高いが、ぼくは外国の人とコミュニケーションを取るのが好きなので、その辺もやっている。

これはやはり場数がものをいう話だが、実際にオンラインオフラインで外国人と話したり、それ以外にはYoutubeでコメディ観てスラングを聞く練習とかをして、「話せる英語」の枠を広げようとしている。これは相当暇な時に限るけど。


目的の是非について考える

ぼくのケースはこんな感じだが、ついでに言っておくと、英語を使う目的の種類に優劣はないと思う。

もちろん将来海外での仕事、ビジネス交渉に役立てたい、学会での議論の力を上げたい、大学入試で高得点を取りたいなどはわかりやすい目的だが、TOEICで高得点をとって就活の武器にしたい、外人を口説きたいとか、別にそれはそれで立派な目的だと思うし、いずれにせよ英語をひとつのツールとして使っているだけなので、その目標に向かって適切な努力をすべきだろう。

むしろ怖いのは、やっぱTOEICじゃ能力は測れないよね〜wとか言って、直近の目的(就活でのスコア提出など)にそぐわない英会話を中途半端に習ってテスト対策を怠った結果、TOEICの点数すら怪しくなる、といった状況に陥るようなことである。

目的の達成において、目的を理解していない他者の意見や世論を介入させる必要はないので、TOEIC使うならきっちりTOEIC対策だけすれば良いんでは、と思ってしまう。


結果が全て

英語をどう勉強したかの過程に意味はないということにも気づいた。具体的にさっきの自分の例で考えてみる。

研究と記事を読むことに関して、どこまで読めたかを評価してくれる人はいない。自分が読めるか読めないかだけである。プレゼンについても同じ。できるかできないかだけで、英語の勉強量が少なかったり純ジャパだからといって甘く見てもらえることはない。

会話についてはさらに顕著なように思える。いま留学先で会話していて常々思うが、話せるやつは話せて、話せないやつは話せない。ただそれだけで、そこに人種もバックグラウンドも、ましてや英語の勉強歴なども関係ない。

陳腐な言い回しになるけど、〇〇時間勉強した!××の映画見た!純ジャパだけど頑張ってる!という事実自体に意味はない、という話。そこらへんのこだわりは捨ててしまった方が吉かと思う。

結局 一年ほど色々やってみてわかったことはシンプルで、

  • 目的を明確化すべき
  • 目的に応じて英語力を具体化すべき
  • 目的に貴賎はない
  • 結果が全て

つまりやること具体的に決めて周りに振り回されずにやろう、ということだけです。

これに沿って自分で仮説立ててやってきたが、この一年でそれなりに使いたいように英語を使えるようになってきた実感はある。

までも結局実力は全然足りなくて、だからこそ今後も目標と実力のギャップを具体的に考えて埋めていく必要があるのかなあと思っています。

ここまで書いたのは個人的な見解に過ぎないので、他におもしろい考え方や勉強の方法などあればおしえてください。今後も精進します。

Avatar
Soma Funahashi
Graduate Student

水文学や持続可能な開発について研究する大学院生。デザインとテクノロジーが好きです。